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大津地方裁判所 昭和40年(ワ)74号 判決 1969年4月09日

原告 長谷川恵 外二名

被告 国

代理人 広木重喜 外五名

主文

一、被告は

(一)  原告長谷川恵に対し三〇〇万円およびこれに対する昭和四〇年五月一八日以降右支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、

(二)  原告長谷川由夫に対し三七二、五二五円およびこれに対する昭和四〇年五月一八日以降右支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、

(三)  原告長谷川和子に対し三〇万円およびこれに対する昭和四〇年五月一八日以降右支払済みに至るまで年五分の割合による金員を

支払え。

二、原告長谷川恵、同長谷川由夫のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は全部被告の負担とする。

四、この判決は

(一)  原告長谷川恵において三〇万円の担保を供するとき

(二)  原告長谷川由夫、同長谷川和子においては無担保にてそれぞれその勝訴の部分につき仮に執行することができる。

五、被告において

(一)  原告長谷川恵に対し六〇万円

(二)  原告長谷川由夫、同和子に対し各五万円

の担保を供するときは前項の仮執行を免がれることができる。

事  実<省略>

理由

一、原告恵が昭和三九年一月二七日蓄膿症のため京都大学医学部附属病院耳鼻科に勤務する同大学助手今西医師の診察を受け、以後内服治療薬を服用して通院治療を続けて来たが、今西医師のすすめにより手術を受けることとなり、同年八月二六日入院し、九月一日同大学助手久野医師を手術指導者、今西医師が執刀者として全身麻酔により原告主張一の(1)ないし(6)の手術を受けたこと、同日病室に帰つて来た時既に左眼の対光反射が消失していたこと、その後退院まで同病院眼科医師の治療を受けたが、結局左眼視神経萎縮、左動眼神経麻痺、左上眼窩神経麻痺(以下左眼失明等の障害と略称)を生じたことは当事者間に争いがない。

二、(1)(証拠省略)の記載事項中「経上顎洞的に篩骨蜂を廓清中…この時紙状板の一部を損傷した如く鉗子に眼窩脂肪を認めた」との記載、同三五頁総括の項の記載中「経上顎洞にて左側篩骨蜂を廓清中鉗子に少量の眼窩脂肪を認めた」との記載

(2) (証拠省略)中「経上顎洞にて篩骨蜂を清掃中紙状板の一部を損傷した如く鼻鉗子に少量の眼窩脂肪を認めた」との記載

(3) (証拠省略)。

(4) 証人武田一雄の証言中「私は京都大学医学部耳鼻科助教授をしております。原告恵さんを手術の翌日にみました。(骨折が生じた当時の大きさは手術後約二ヶ月後に写している検甲第五号証の写真)よりもあるいは変位は大きかつたかもわかりません。(もつと大きく開いた可能性)はあろうと思います。(切損した範囲の広さは)一応断層写真の五cmあるいは五・五cmでは出てないようでありますので、前後の巾にしましては一cm以内であろうと考えます。一cm以内四方の広さの範囲であろうと思います」との供述(証拠省略)

(5) 証人本庄嘉子の証言中「私は原告長谷川恵さんの副鼻腔炎の手術をしました。(その時鉗子の先に掴んでおつた量はどの位の量でしたか)大体米粒位か、それより少し小さい大体米粒ぐらいです。白つぽい感じで今までとつておりました粘膜よりはやや白つぽい感じです。…白つぽいけれども今までとつて来たポリプ状の組織よりは少しやわらかい感じがしていました。…(もし脂肪であるとすれば紙状板を破つたかなあという感じを持ちましたか)それが脂肪だつたら当然紙状板を破らないと脂肪がつかめませんのでそうじやないかと思いました。(疑惑をもつた)はい。」(証拠省略)「(九月四日に患者のお父さんと話したとき、間の骨をとつたという話をしていませんか)説明しました(眼窩の一部がとれてるとか、それは側壁の骨だとか、そういう説明をしたんじやありませんか)しました」(証拠省略)「(つかみ出したのは眼窩脂肪でなかつたんだということを断定したのは)それが眼窩脂肪でなかつたんだというふうに断定したんじやなくて、つかみ出したそれが眼窩脂肪かも知れないということで、つかみ出したのが眼窩脂肪かどうかということは今でもわからないです」(証拠省略)

(6) 証人久野久仁夫の証言中「私は原告長谷川恵さんの手術に指導医として関与しました。(左側の篩骨蜂を廓清しておる時に今西先生から眼窩脂肪らしきものを見つけたということを聞きましたね)はい(その時にあなたその組織を見ましたか)はい見ました(どういう状態でした)上向鉗子の先に米粒大程度の大きさでありまして色は非常に白つぽい感じでございました。いわゆる眼窩脂肪とはちよつと色の問題において異なつた感じでございましたし、又逆にさわつて押しつぶした感じでは篩骨洞粘膜よりもやわらかいという感じを受けました(眼窩脂肪であるかどうかいうことは区別)つきませんでした(ないということも言えないということですか)そういうことです(眼窩脂肪であるということももちろん言えないということですね)はい。」(証拠省略)「カルテに総括というものはいつの時点で書くんですか)退院後カルテだけを回診に出しましてその時に書きます。(本件であなた総括のカルテみられましたか)はい(少なくともこれは原因を究明した後ですね、退院時ですからあなたとしては原因を判断した後の時点ですね)そういうことでございますが、まだ退院の時点でも治療ということに重点をおいておりました(しかしもうあなたとしては判断は大体ついていたんでしよう、もちろん治療は続けられても眼窩脂肪を認めたということを、もうあなた達の話であればこんなこと書かないと思うんですが、やはりこの総括にも、鉗子に少量の眼窩脂肪を認めたと書いてございますね、しかもこの状態は一一月二〇日ですね、もう二ヶ月と二〇日もたつてからですね)〔答なし〕(退院時点でも原因はこれだという考ではなかつたんですか、総括にまで書いてあるんですからね)〔答なし〕(それじや治療を専念しておつて原因を考える余地はなかつたということですね、二ヶ月後ですから)〔答なし〕(わからなければいいですよ)何とも申せません」……(その眼窩脂肪らしきものをつかんだその後あなた検査されてそれから手術はどうなりましたか、まだその場所を続けられたか)いいえ、それでその場所を終了いたしまして手術終了の止血操作だけを行ないました……(鼻内法の手術はどうしたんですか)経上顎洞的な鼻内に関してはそれで終りまして、鼻内的な篩骨蜂開放というよりも、むしろ経上顎洞的にそういういきさつがございましたから、中鼻道を広く開けるということだけを行ないまして手術を終了したわけでございます(そうすると経鼻篩骨蜂の廓清はしなかつたんですか)経上顎洞的にほとんど開放してます場合には経鼻内的には場合によつては中鼻道を広くあけるということだけでこと足ります(そうすると本件ではしなかつたわけですね)ええほとんどやつておりません、まあ手術術式を書いておりますが、保険で手術料を相殺する問題もございます。……(本件の眼窩脂肪らしきものを認めた時で一応経上顎洞的な篩骨蜂の開放というのをやめたわけですね)はい(やめたのか、やめるときに来ておつた様に思いますか)ほとんどやめる時点に(来ておつた)はい(鼻内法は誰がやつたんですか)私がやりました(どうして代つたんですか)問題になつてる異常所見がございましたし、もう手術も終了に近づいておりますので、後経鼻内的に通気道をつけるという問題だけをやつたわけです(鼻内法で篩骨蜂の前群の廓清はしなかつたということですか)ほとんどやつておりません(それは本件のそういう問題があつたからやめたのか、あるいはもう前群のほうは大体経上顎洞的に終つておつたからやらなかつたのか)経上顎洞的にほとんど終つておつたからやつておりません(今西先生が鼻内法でやつたんじやないんですか、今西先生も少しはやられたんですか、もうそれ以後今西先生に全部手をひかせてあなただけでやられたのか、どつちですか)大体私がやつたと思います」(証拠省略)との供述。

(7) 証人三好豊二の証言中「私は昭和三九年九月ごろ京大病院耳鼻科に助手として勤務しておりました。私の手術を終つた後、隣の部屋手術中だつたのでのぞきました。私が今西先生の横へ術者の肩ごしにのぞいておつた時に、ちよつと変つた組織が出て来ましたので、これは脂肪組織じやないですかというて近くにおつたぼくの方に示したので、それを見たし、又記憶があるわけです。……正確なことは覚えておりませんが、鉗子の先からそんなにはみ出してふくれ上つたという処はありませんでしたので、大体経三mm内外でした。色は主として半透明で肉色をおびたそういう組織でした。……その時脂肪組織かどうだろうかということでしたので、脂肪組織であれば一番危険なわけですから、紙状板が破れておるということになりますので、まあ脂肪組織であるという頭で見たわけです。そうしますと、いかにも白つぽつくてどうもいつも見ておる脂肪組織ではない。だけどこどもの眼窩内の組織はもしかしたら色がついてないのかも知れないなとそういうふうに思いました。……目でみただけでは何とも言えないと思います。……場所的に脂肪組織である可能性はあるという気持はしました。ただし術者でない以上、鉗子の感じとか、その他細かいことは自信をもつては言えません。ただし意見を求められますとまあ意見を言う側としてはどうしても慎重な方法に意見を言わざるをえないというか、言つて注意を喚起するのが普通じやないかと思います。……(あなたその時なんか特に意見を述べたんですか)はあ聞かれましたので、脂肪組織かも知れない。ただその場所ですね、そこの所はこれ以上いらわん方がいいんじやないかというような意見を述べたように記憶しております」(証拠省略)との供述

(8) (証拠省略)を総合して認められる次の事実、すなわち「九月四日看護婦詰所で原告由夫が耳鼻科の今西、久野、武田、眼科の上野、宇山各医師より原告恵の左眼の対光反応消失の原因、今後の見とおし等につきいろいろ尋ねた際眼と鼻の境の骨である紙状板に穴があいたことに対する物理的な療法はないと聞いたので、その穴から鼻汁やバイキンが眼の中に入つて眼玉が腐るいう様なことになりはしないかと心配してその後も毎日の様に聞いていたところ、九月一二日久野医師より「肉芽がもり上つて境ができた」という説明があつた」という事実。

以上(1)ないし(7)の各証拠と(8)の事実とを総合すると今西医師が左経上顎洞篩骨蜂廓清中に鉗子の先にそれまでとは違つた組織をつまみ出したのは眼窩脂肪であつたこと、ということは鉗子を誤つて紙状板を突き破つて左眼窩内に刺し込んだという事実が認められる。

三、右認定の事実に加えるに

(1)  前記(証拠省略)の記載事項中「術後三〇分出血始まる。右上顎洞および左中鼻道より可成り大量出血しているのを認む、左中鼻道の出血は可成り大量で先に挿入したタンポンを通して尚も出血している。このため左中鼻道に更に軟膏タンポン三本を挿入した。少量の出血は続いていたが、一応そのままにして、次の右上顎洞を再び開放して軟膏タンポン三本をあてて止血する。更に少量の出血が後鼻孔の方に認められるので、ベロツク氏タンポンを施行した。この頃より左眼瞼が暗紫色に腫脹しはじめた、左散瞳あり、左対光反射消失しているのに気付く。このため直ちに左中鼻道のタンポンを除去せんとしたが、出血激しきため除去できず、回復室より帰室直後(六時)大量出血を来さぬ程度に左中鼻道のタンポンを除去した(西本)、九月二日武田助教授御高診、昨日出血のため除去できなかつた左中鼻道の残りのタンポン除去」との記載

(2)  証人武田一雄の証言中「(本件で出血が非常に多かつた理由は)もつとも考えられることは病変に起因するものが一番大きいんじやなかろうかと思います。なおそういつた病変に関連して手術手技ということも考えられます(証拠省略)本件の場合非常に高度な病変を示しておるというふうに聞いておりますので、術中出血が多かつたということは多分にこういつた病形に支配されたものというふうに考えるわけです……(そういう病的粘膜を剥離した後になお出血が多かつたということは何か関係がありますか)一般にはそういつた粘膜を除去しますと今申しましたような出血というのは一応減低して来るわけです。したがつて病形そのものが後出血の原因であつたとは考えないわけです」(証拠省略)「後出血の原因としてどんなことが考えられますか)術後の留置タンポンが不適切であるということが一番の原因であろうと思います。術創にタンポンをつめるわけです。出血を防止する意味で。(そうすると術後のタンポンが完全にされておればそう大きな術後の出血はないわけですね)ないと思います。(紙状板の骨折部位に仮に鉗子が入つたとすれば、前の動眼神経とか三叉神経、視神経を損傷する方向の部位にはありますか)鉗子が入つたら当然そういう障害が起るんですから、ガーゼですら起る可能性があるんですから(部位的に全然ない方向か、ある方向か)部位的に申しますとすべての神経がやられると思います。……(本件の視神経の障害を起したのは……)圧迫タンポンによつて直接、もちろん紙状板あるいは眼窩骨膜を介してかも分かりませんが、直接機械的な圧力というものか眼窩漏斗部の視神経を含めまして諸神経・視神経その他の動眼に対する神経、そういつたものを圧迫したことが原因であろうと考えます。そういつた神経というものを圧迫します場合には周囲の血管というものに対しても同様な障害を加えるはずでございますから、循環系の障害を更に伴つたために、そういつた神経の障害というものが、よりなおりにくい状態になつたんだろうとそう考えるんです……(骨折変位がある場合と骨折がない場合とでは加わる力は大分変つてくるでしようね)それは違います。骨折がまつたくなければ眼窩に対してはなんらそうした影響はないと思います。(骨折がなければ少し内部的に変形するということは考えられていいんですか、考えられないんですか)弾性によるひずみですか(ええ)まずそういつたことで視器の障害というものは起らないと思います」(証拠省略)との供述

(3)  証人宇山昌延の証言中「昭和三九年九月一日原告恵さんが副鼻腔炎の手術をして左の眼に視力障害を起した当時私は京大病院の眼科の助手をしておりました。眼窩の一番深い処を眼窩漏斗部と言いますけれど一番深いところで障害が起つたというように考えました。障害された神経全部を考えますと視神経がやられまして眼瞼があがらなくなる。眼球が上下内方へ動かなくなる。外転神経が障害されて眼球が外へ向かなくなる。そういうみております症状すべてから考えますとそういう神経全部が障害されてないと起らない。そういう神経全部障害される可能性というのはそういう神経が全部集まつている眼窩の先端部でないと起りえない。(眼窩中に血管としてはどんなものがあるんですか)一番本もとは眼動脈です。それからたくさんの血管にわかれまして、一番先きは網膜中心動脈になります。それから脈絡膜、虹彩網様体を養う血管があります。脈絡膜動脈といいます。たくさんの筋肉を養う血管があります。筋肢といつておりますけれどもそれから視神経を養う視束中心動脈そういうものが主なものとしてはあります。それから静脈ももちろんございます。眼球のいろんなところから出て来ました静脈が眼静脈と言いますけれどもそれが二つにわかれて、上の方は上眼窩裂から頭の中へ入りますし、下の方は下眼窩裂から入りますものがあります。……(乙第七号証の六、五cmの位置ですね、そこで眼窩漏斗部の大きさと言いますか直経は大体どれくらいあるんですか)普通六、五cmというのは先端部ですから眼窩としては五mmかそんなもんですね。(眼窩内の動脈あるいは静脈が切れた場合その出血はどうなるんですか)眼窩内の動脈あるいは血管が直接損傷された場合には眼球の後方に出血が起りまして血液がたまります。血腫と申します。それが前の方へ出て参りまして眼瞼の出血として見えます。それから時には白眼の処、それからよく眼球が前へ突出いたします。(翌日診察された時白眼の部分にはなんら変化は)なかつたです。少し眼球は突出してました。(先端部が五mmぐらいの所だつたら鉗子があやまつてあたつてそこの全神経が損傷されるということもありえんことではないんでしよう)もしも手術でそこへ入ればできんことはないと思います。けれどもこの人の場合前から問題になつてよく聞きましたけれども眼窩脂肪を認めたとか認めないとか言つておりますのはもつと前の方の手術をしております場合に入つたか入らんとかいうことが問題になつておりますので奥の方は手術でさわつてないようですから、副鼻腔の手術の場合に、そこをつかむということはこの人の場合はそういうことはなかつたと思いますけれども一般的に考えましてそこをつかめば当然損傷は起ります(前の方と奥の方というのは距離にしてどれくらい)一cmか二cmの距離でございます。(眼球の後方の血腫はあなたが診断された時に)眼球の突出がありましたことからは、あつた可能性は強いと思います」(証拠省略)との供述

(4)  証人弓削経一の証言中「私は元京都府医科大学眼科におり、原告長谷川恵を初めて診察したのは昭和三九年一一月一二日です。(断層撮影写真六、五cmの処に欠損らしいものが、欠損であるとすれば一番考えられやすい原因はどの様に考えられますか)そこにノミを入れる時にあやまつて骨を破るとか、あるいは鉗子で破るとか、この場合には出血したそうですからタンポンがその方向につき当つたとかそういうことが考えられます。(視神経とか動眼神経が侵された原因が何によつて侵されたとお考えになつたんですか)原因は外力というより仕方がないです、我々が言う外力というのは機械的な力が加わつた場合をすべて外力というんです。(脂肪組織というのは諸視神経の保護の役目をはたすわけですか)保護より緩衝的なものでしよう。押えられてもちよつとフトンの様になりますから、外力の直接に働くのをさけているわけです(そうすると紙状板はある程度変形しても今の緩衝作用により直接神経に加わる圧力というものはそう大きなものじやないんですね)紙状板というのはそうベラベラ変形するものじやないですから、紙状板はそういう緩衝を必要としないわけです。堅い骨ですから(ある程度変形は考えられるか)きわめてわずかです。(そのきわめてわずかな変形ぐらいでは神経を痛めることは)そういうことはないです(あくまでもやつぱり骨壁が骨折してそこから力が神経に加わるとこうでなければ起らない)骨が折れてその骨がささつたかということも考えられますし、骨に既に穴があいておつてそして骨膜をタンポンが破つたということも考えられます(結局紙状板が破れて中に入らない限りこういう症状は起らないということですね。紙状板が破れない限りはこの症状の変形では起らないということですね)そういうことです」(証拠省略)との供述

(5)  (証拠省略)と原告長谷川由夫本人の供述により認められる次の事実すなわち「原告恵が退院する少し前に、原告由夫と同和子が京大病院耳鼻咽喉科の森本教授に会つて聞いた時同教授は「出血が多くてもやり方をかえるなりやめるなりいろんな方法がある。私がやつたらああは九九%ならなかつたと思う。手術過誤を起してすまない、手術過誤というのは眼と鼻の境をこえたことである」旨を述べ、(証拠省略)同教授より長谷川恵宛の「貴女の視力障碍は昭和三九年九月一日施行の副鼻腔炎手術に因るもので一種の手術過誤というべく実に申訳ない次第であります」との直筆の書面(甲第八号証)を原告由夫に渡している事実

以上(1)ないし(5)を総合して考慮すれば、原告恵の左眼失明等の障害は

(一)  今西医師が原告恵の左経上顎洞篩骨蜂廓清中に誤つて鉗子を眼窩内に刺し込んで眼窩脂肪を掴み出した際に鉗子によつて直接視神経等を損傷したことによるものか、或は、

(二)  右鉗子を眼窩内に刺し込んだ際眼窩内の血管を損傷して後出血の一因をなすと共に術後の留置タンポンが不適切であつたため(前記武田証言参照)左中鼻道より大量の後出血に対する止血操作としてつめ込んだタンポンの圧力が鉗子によつて紙状板が既に破られていたために直接視神経等を強く圧迫し、タンポン除去まで長時間かかつたため視神経等を損傷し、且循環系の障害を伴つたために視神経等の障害を一層なおりにくいものとして遂に失明等の障害を生ぜしめたか

以上(一)、(二)の何れかであるものと認められる。右両者のいずれの場合も直接、間接の違いはあるけれども鉗子で紙状板を突き破つて鉗子を眼窩内に刺し入れたことが失明等の障害をひき起した原因であり、右原因と失明等の結果との間には相当因果関係あるものと言うべく、今西医師に過失責任あることは明らかである。

被告は今西医師に過失のない旨種々主張し、被告申請の証人の証言中には右主張に沿う部分もあるが、前記認定の証拠と対比して採用できない。

四、被告は今西医師の選任監督に過失がないと主張するが久野医師が手術指導医として手術に立会つていても、前記認定の如き事実関係のもとでは選任監督に相当の注意をなしたとは言えない。

五、被告は今西医師の使用者(この事は当事者間に争いがない)として、今西医師の過失により原告らの蒙つた障害を賠償する義務がある。

(イ)  原告恵の損害

原告恵は左眼失明による労働能力喪失を労働基準法施行規則別表第二身体傷害等級表および労働基準局長通牒(昭和三二年七月二日基発五五一号)に依拠し、原告の左眼失明等の障害は同表八級の「一眼失明」に該当し、労働能力喪失率は一〇〇分の四五が相当で、女子労働者の平均給与額に右一〇〇分の四五を乗じた額に原告恵が成年に達した後六〇才までの労働可能年数の四〇年を乗じた額を逸失利益とみるべきであると主張する。前記別表第二の第八級の中に「一眼失明」があげられており、前記通牒によるとその場合の労働能力喪失率は一〇〇分の四五とされていることは原告の主張するとおりである。原告の右計算方式によつて算出すると別表記載のとおり一、八三四、九〇三円となる。しかしながら右身体傷害等級表労働能力喪失率は逸失利益の具体的損害額算定するに当つての一つの資料とはなりうるが、原告恵は現在高校生で、同人の将来についての予測が甚だ困難であること、前記身体傷害等級表の中には被告主張するとおり、労働能力に関係のないものも含まれていることを考えると同表によつて算出した前記金額を直ちにそのまま逸失利益の損害額と評価するのは相当でないとしても、少くとも一〇〇万円を下ることはないものとみて間違いない。

(証拠省略)に原告長谷川由夫本人の供述を総合すると次の事実が認められる。「原告恵は小学校以来学業の成績よく、小学校三年より中学校三年まで毎年学級委員に選ばれ、高校に入学後女子の中で一番であり、一方水泳も上手で小学校の時幾つもの賞状を貰つたことがあり、鼻以外に病気したことはなかつた。本件手術の結果左眼失明したほか左動眼神経麻痺のため左の目の玉は動かず黒目は下を向いてしまつており、瞼はとじたままで動かない。上眼窩神経麻痺のため左の眼窩の上の処から頭部の方へかけて神経が麻痺しているので笑つたり顔を動かしたりするとほかの処の筋肉は動くのにここの処が動かないので此処に三cm位縦にしわができる。本人は人が見て気持を悪くするといけないというので、いつも眼帯をかけたままで暮している。片目のため遠近感がわからず球技運動はかわいそうなので、以前よくやつたピンポン、ボール投げ等もやめさせた。遠近感が分からないため階段をふみ外したこともある。見える方の目にゴミが入ると両方みえない為動けなくなる。中学二年の頃、私は結婚しないとポツンと言つたことがあり、洗礼を受けると言い出して、一二月二五日に洗礼を受けた。京大病院で前記のとおり蓄膿の手術をしたのにその翌昭和四〇年中学一年の学校の健康診断で副鼻腔炎だから治療をする様にという通知を受け、市民病院で診て貰つたがやはり同じく副鼻腔炎で手術を要するという診断で直つていない。」

以上の事実が認められる。片目しかみえないことは本人にとつて前記の様な不自由があるほか、女子にとつて美容上のマイナスも大きく、将来就職するにせよ、結婚するにせよ大きなハンデイキヤツプを背負つて行かねばならない。本件手術当時一二才であつた原告恵の平均余命年数が五九、八五年であることは当事者間に争いないところであるが、この様な長い年月にわたつて蒙る不自由、不利益を考えると原告恵に対する慰謝料は二〇〇万円が相当である。(東京地裁昭和三九年(ワ)第一二、六六四号事件、昭和41・11・22判決、判例時報四七一号四〇頁参照)

被告は請求の拡張された部分につき時効の抗弁を提出しているが、統計年鑑が新しく出版されたのに伴い数字を訂正したに過ぎず、従来眠つていた権利につき新たな請求をしたものではないから右抗弁は採用しない。

(ロ)  原告由夫、同和子の損害

(一)  原告由夫の財産的損害 七二、五二五円

(証拠省略)と原告由夫本人の供述により左記金額が認められる。(証拠省略)

(1) 原告恵の医療費 計一〇、〇〇五円

内訳

(イ)  京都府立医科大学診療費 計六、八八四円

(ロ)  高橋眼科診療所診療費 計五九一円

(ハ)  稲富眼科医院診療費 計三四六円

(ニ)  大阪大学医学部附属病院診療費 計五三五円

(ホ)  順天堂大学医学部附属順天堂医院診療費 計五六九円

(ヘ)  東京大学附属病院診療費 計七三〇円

(ト)  ヒルドイド軟膏一四グラム 三五〇円

(2) 交通費 計三七、九三〇円

(イ)  入院中京大と自宅間の交通費 計二一、二五〇円

入院から退院まで原告由夫、同和子が病院へ通つた延日数は一四五日であるところ、被告主張のとおり、副鼻腔炎手術に必要な入院期間三週間は眼合併症が生じなくても当然支出したであろうから、その分は差引くこととするが、眼合併症なければ原告夫婦が二人とも毎日行かなくとも交代で一人ずつ行つたであろうと考えられるので、前記延一四五日より二〇日分を差引いた延一二五日に京阪電車、市電の一往復代一七〇円を乗じた二一、二五〇円の限度で認めることとする。

(ロ)  京都府立医大附属病院通院費 計四、〇六〇円

(ハ)  高橋眼科診療所通院費 計 五六〇円

(ニ)  大阪大学附属病院通院費 計一、〇二〇円

(ホ)  東京大学医学部附属病院順天堂大学附属順天堂医院診療のため上京交通費 計九、〇〇〇円

(ヘ)  京大病院退院後の通院費 計二、〇四〇円

(3) 宿泊費

東大病院順天堂病院受診のため上京滞在費 計一五、〇〇〇円

(4) 医師等への謝礼 計五、四六〇円

(5) 附添経費(京大病院貸フトン代) 計四、一三〇円

被告は附添経費も副鼻腔炎手術に必要な入院期間三週間は差引くべきであると主張する。その点はもつともと考えられるので、原告請求金額中九月一日より一〇日までの貸ベツト代二〇〇円(甲44)と八月三一日より九月二〇日までの貸フトン代一、四七〇円(甲36、37)を差引いたその余の前記金額の限度で認めることとする。

(二) 原告由夫、同和子の慰謝料

原告由夫本人の供述によると次の事実が認められる。「原告由夫、同和子の経歴はそれぞれ原告の主張どおりである。原告恵が病室から手術室へ移されたのは九月一日午前九時頃で、手術は二、三時間位と聞いていたのに、予定の時間が過ぎてもなかなか帰つて来ず午後四時半頃漸く病室に帰つて来たが、顔が鼻と同じ高さに脹れ上つて顔が平たくなつており左の眼に大きな眼帯がつけてあり、時々血泡をふいていた。今西医師からは「出血が多かつた」と一言あつただけであつた。二日の晩は苦しいからか眼帯もドレーンも引きちぎつて取つてしまつた。四日午後四時頃原告由夫が病室に行くと原告和子が恵の眼がだめだと言われたと言つて泣いていた。原告由夫が看護婦詰所に行つて今西医師、久野医師、武田助教授、眼科の医師等から病状を聞き始めて左眼が対光反応を失つていることを聞かされた。その後眼科の治療を受けたが視力は回復しなかつた。しかし親として愛児の視力回復の術はないかと京大入院中から眼科専門医を求めて、前記のとおり、京都府立医大眼科、高橋眼科診療所、稲富眼科医師、大阪大学医学部附属病院、東大附属病院、順天堂病院と診療を乞うて廻つたが視力回復の望みはなかつた、左眼の美容の整形手術ということもやらない方がよいという医者もあつて、現在のところ決つていない。女子であるだけに、容貌が就職、結婚に影響することなのでそれを一番心配している。」

以上認定の事実よりすれば、原告由夫、同和子の受けた精神的苦痛は並々ならぬものであろうということが推察され、これに対する慰謝料としては三〇万円を下るものではない。(なお本件の如き事実の場合には、子の負傷に対し父母が自己の権利として慰謝料を請求しうることについては昭和三九年一月二四日最高裁判所第二小法廷判決民集一八巻一号一二一頁参照)

六、以上の理由により原告恵の請求については、三〇〇万円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であること記録上明らかな昭和四〇年五月一八日以降右支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でその理由があるのでこれを認容するがこれを越える部分は失当として棄却することとする。

原告由夫の請求については三七二、五二五円とこれに対する本訴状が被告に送達された日の翌日であること記録上明らかな昭和四〇年五月一八日以降右支払済みに至るまで民法所定年五分の割合の遅延損害金の支払を求める限度においてその理由があるのでこれを認容するが、これを越える部分は失当として棄却することとする。

原告和子の請求については全額その理由があるのでこれを認容することとする。

よつて訴訟費用の負担、仮執行の宣言、これが免脱につきそれぞれ民事訴訟法八九条、九二条但書、一九六条一項、三項、四項を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 中村三郎 高橋水枝 山崎杲)

別表(省略)

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